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駒の話シリーズ 59:ヘロドトスとストラボンの馬

 

 歴史の父とされるヘロドトスは小アジア(現在のトルコ)の南部の町ハリカルナッソスノ生れで、その生没年は不明であるが大方の見方として紀元前485425年とされている。前450年代のはじめから10余年に及ぶ旅を続けて『歴史』(9巻)を書いた。『歴史』を著述する目的は「東と西、アジアとヨーロッパとがいかなる原因で戦いを交えるに至ったかの事情に重点を置き、ギリシャ人であると非ギリシャ人であるとを問わず、人間の果たした偉大な業績を後世に伝える」(松平千秋訳)としている。

 ストラボンは小アジアのポントスの出身で、生没年は紀元前64年~後21年以後とされている。ストラボンの言によれば「アルメニア地方からテュレニア地方のサルド島まで、黒海からエチオピア境まで」(飯尾都人訳)旅したとしている。そして、その旅行と多くの書物を基に『ギリシャ・ローマ世界地誌』(17巻)を記述した。

 ヘロドトスもストラボンも嬉しいことに、騎馬遊牧民族の元祖とされるスキタイについて詳述している。

 『歴史』のスキタイの馬に関する記述(すべて巻四)

52 第三の川ブグ(ポーランドとウクライナの川)はスキタイの領内に発し、周辺に白馬の棲息する太湖から

流れ出している。

 62 スキタイの各地区の堆積の上に、古い鉄製の短剣がのせてあるが、これがアレス(戦いを司る)の神体

なのである。スキタイ人はこの短剣に毎年家畜類や馬を犠牲に捧げる。

 71 王の遺骸の埋設についての記述。墓中に広く空いている部分には、故王の側妾の一人を絞殺して葬り、さらに酌小姓、料理番、馬丁、侍従、取次役、馬、それに万般の品々から選び出した一部と黄金の盃も一緒に埋める。

 72 1年後の儀式の記述。王に最も親しく仕えた侍従50人と最も優良な馬50頭を絞殺し、臓腑を抜いて掃除した後もみがらを詰めて縫い合せる。

 90 ドニエステル川の水は他のどの川の水よりも治療の効があるといわれ、ことに人間や馬の疥癬に卓効があるという。

 129 スキタイ地方には驢馬も騾馬も産しない。スキタイ軍がペルシャ軍を攻撃するさ中に、彼らの馬が驢馬の嘶きを聞くと、動揺して後退し、耳を立てて驚いたふうをするのであった。

 

 『地誌』のスキタイの馬に関する記述

 巻78 スキタイ、サルマタイ両族ともにその全体の特色となっているのは雄馬を従順にさせるために去勢する点で、馬は小型だが非常に気性が荒くなかなか言うことを聞かない。

 

 ストラボンはスキタイの馬以外にも、優秀な馬を記述している。

 巻315 イベリア地方(スペイン)に特有の現象として、烏は黒く、ケルト・イベリア族の馬にはすこし斑紋が入っているのに外イベリア地方へ移すと色が変わる。さらに、この馬はパルテュアイア産の馬に似て地方の馬より速く走り続ける。

 巻81 アルカディア(イタリア・ぺロポネス半島)産の馬は馬のなかでも一番優秀で、アルゴス、エピダウロス両地方産の馬にも匹敵する。アイトリア、アカルナニア両地方の荒野も馬の飼育には天然の適地で、チッタリア地方の野に劣らないほどだった。

 巻117 メディア(イラン北西部)地方もアルメニア地方と共に馬を飼うには格別に優れ、「ヒッポトス(馬を飼う)」という名の牧野もある。ペルシャによる支配に時代にはこの地で雌馬5万頭を飼い、群れを王が所有した。王たちはネサイオイ族の地方の馬が一番優れて大きいので、これを使っていたが、これが上記の牧野から出た種だった。ただし、アルメニア種だとする説もある。

 巻119 シュスピリティス(アルメニア)地方は、馬の飼育には非常に適していてメディア地方に負けない。


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